正しい事って言ってはいけないの?話し合いって結局多数決では?って思ってる人に伝えたいこと。

おはようございます。

最近、お酒をほとんど飲まなくなってしまったので

缶ビール一本でほろ酔い気分が味わえるようになったのですが

翌朝の目覚めが悪すぎる!

自分でも信じられないくらいお酒飲めなくなってしまったことに

危機感を覚え、困惑している

今日この頃の佐藤です。

来月合コンに参加するので

それまでにある程度飲めるように戻そうと思います。

早速表題の件ですが

学生時代に話し合いや議論するってことについて考えた時に出会った言葉なのですが

『正論は相手に正論を受け入れる度量と理解力がなければ反感をかう。

正論であればあるほどひどい反感をかう。

なぜなら相手を「馬鹿」と非難するに等しいからである。』

福田秀人さんの言葉なのですが

率直な感想をいうと

なぜ、こんなことにも気づけなかったのか、と

自分が恥ずかしくなりました。

たしかに、違和感は感じていたんです。

話し合って、相手の意見が正しいと思ったから自分の意見を変える。

これが話し合いで絶対してはいけないことかのように言われるんですよね。

話し合って、人が納得するほど精度が高まってるのだから良いことのはずなのに。

もちろん、コロコロ意見を簡単に変えるのは別問題ですがね。

簡単なことに置き換えると

販売の経験からすると、

人に何か新しいものをオススメするときに

良さを語るのではなくて、違いを見せた方が共感しやすいんですよね。

良し悪しは人それぞれの感性ですが

違いに関しては確かに存在する差なのですから。

この問題って食わず嫌いに少し似てるんですよね。

私はビールが好きで

海外の瓶ビールを好んで飲みます。

やはり同年代でビールが嫌いなの人は多いので

「わざわざビールを銘柄選んでまで飲む気持ちがわからない」

ってよく言われます。

そんな時に、黒ビールを一口あげて、味の違いを体験させてあげたら

ビール克服したなんていう人を何人も見てきました。

でももし、私が黒ビールのおいしさだけを伝ようとしたら

「ビールなんて苦いだけだから嫌だ!

君は甘いと感じて私は苦く感じる。」

と主観の一点張りです。

まさしく食わず嫌いの感覚ではないですか?

ぜひ、番組「とんねるずのみなさんのおかげでした。」の

食わず嫌い王の実食の時間に

意外に美味しかったなんていう展開を目にして見たいものです。

話が反れてすみません。

要するに違いを知ることを目的として一口味わうことで

理解する余裕を作るのです。

これが正論を受け入れる度量と理解力の有無です。

ビールの美味しさが正論かどうかは別ですが。

本題に戻します

話し合うような話題で正論と言われるような

絶対的な答えがあることは、ごく稀です。

全ての問題が数学のように

「こうならなければおかしい。」という答えがあるとは限りません。

仮に数学のように絶対的な答えがあるのであれば、

計算式の過程から間違いを指摘することで

ミスってることを自覚させれますよね。

これがまさしく〝相手を『馬鹿』と非難することに等しい〟のです。

我が振り思い返せば

話し合いで意地になって相手の揚げ足をとることが

話し合いの場だと思っている人もいれば

反対意見は自分への攻撃と思っている人もいます。

話し合いの相手が商売敵だったりしたら別ですが

基本的には仲間や同じ目的を持った同士であることが多いでしょう。

同じ目的であれば、どの方法がより確実に達成できるかを

話し合うべきで、相手の意見に弱点があれば

それを補填するための案を加えるくらいのことを考えないと

リスクは減りません。

AとBの意見があってAが優勢だが一つ弱点がある。

それを補填するA’という案を編み出すことが

話し合いのメリットです。

そのダッシュの案を誰が持ってるかはわからないからこそ

複数人で話し合うのです。

自分の考えを押し付けるのではなく

相手の意見を理解することが先決ではないでしょうか。

話し上手は聞き上手と言うように

相手の意見を踏まえて自分の意見を言うことを

心がけてみてはいかがですか。

今日はこの辺で


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