褒めることの難しさたるや。コミュ力ある人こそ注意。言葉で正確に伝えることって難しい。でも諦めちゃいけないしその姿勢を忘れてはいけない。

今日はどうしてもテンションが上がらないので

昔の嫌だったことを書きます。(原因は単なる疲労。笑)

学生時代から言いたいことは、なるべくに出してきた。

なぜなら、私が人と少し違う感覚をもっていて

それを人は変であると言うと分かっているからである。

そこまでのシミュレーションは想定済みなのである。

問題はそこから先。

その変な発言の意図を理解したときに

どんな顔をして驚くのかが私は気になって仕方がない。

そこで気づきを得てくれると、私は最高に嬉しい。

役に立てたというか、自分の存在意義の証明というか。

この時点で考えすぎなことはわかっている。

さらにもう一歩踏み込んでみましょうか。

早速表題の件ですが

言葉で思った事を正確に伝えるのは意外と難しい。

だからこそ、正確に伝えたいと思う姿勢が大切だし、諦めてはいけない。

そして、その発言が自分らしくある事が

どれだけ魅力的なのか。

好きな小説家がいる人は共感できるはずである。

会話と言語っていうのは、

その時に飛び交った言葉だけで成り立つのではなく、

話している人それぞれの経験や知識から成り立つのは

簡単に想像できるでしょう。

ある日友人に

「佐藤はコミュ力あっていいよな。」

って言われたとき、少し不満に感じた。

http://twitter.com/favorite__copy/status/993409420292837376

当時からコミュ力に関しては自信があった。

人見知りでもなければ

初対面の人と話すのも苦痛でもない。

むしろなぜか、知らない人に囲まれている方がテンション上がる。

何しでかしてやろうかと、いたずらする気分に似ている。

でももし、その友人がいうコミュ力が

みんなで盛り上がり、盛り上がれないやつをいじめる能力だった場合、

散々、自分がそれで悩まされていたのに

自分がそんな風に話しているとなれば

コミュ力なんていらないと思うほどだった。

おそらく友人は褒め言葉として言い、

私は不安を感じた。

これは大げさな例ではあるが

会話は大いに誤解されやすい。

めんどくさくても、自分の伝えたいことを

正確に伝えようと思うことがお互いのタメにもなる。

異性に対しても

冒頭でも言ったが

言いたいことは言う。

だから女の子が可愛かったり、いつもより綺麗だったりすると

そのまま、可愛い、綺麗ってしっかり伝える。

本人にも周りのからも、

チャラい、口説きにかかっている

なんて言われる。

普通の人だったら次から褒めたくなるだろうね。

一般的に、褒めることが批判を受けるほど

非日常的なことなのかは置いといても

少なからず褒めることの感覚が違うから起こりうるのだろう。

さっきは可愛いと、褒めたパターンだったが逆も然り。

でもその逆は、いつも可愛いのに今日は…。どうしたんや?って伝える。

本人からは、「ひどい、ブスって言われた。」とまで批判をされるが

私からしたら、心配をしているほどである。

君は可愛いとまで褒めているつもりである。つもりである。

すると周りからも批判の嵐。

私の言葉足らずが原因なのか

見たいように見て、聞きたいように聞くように、

「今日は可愛くない」しか残らないのだろうか。

文面だけで考えたらとても不思議である。

どうやったら正確に伝わるのだろうかって考えれば考えるほど

言葉を難しく捉えてしまう。

マザーテレサいわく

これを思い出すたびに、言葉をより難しく考えてしまう。

ここまで読んで、すこし疑心暗鬼になってこないだろうか。

言葉が意外にも頼りにならないが

意思の疎通は言葉を用いるしかない。

そう思うと文学って素晴らしい。

文章で人を動かし、感情に訴え、涙まで誘う。

ちょっと本読みたくなりません?笑

読書で培った語彙や表現方法が

行動になり、習慣になり、性格になり、運命になるのかもしれないですね。

ちなみに、私にコミュ力あるって言ったその友人に

私がどう受け止めたか正直に伝えると

褒め言葉として言い、会話に入れていなかったその友人を

会話の輪に入れたのも私のお陰であるとまで言ってくれた。

流れに身を委ねるように話すのはコミュ力じゃない。

とだけ言っておきます。

今日はこの辺で


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