意識が高い、低い この差はなに?

就活活動中の学生をよく見るようになり

今日から新年度を迎え

やる気に満ち溢れた人を見ると

2年前の自分を思い出します。

ある意味楽しんでたな!

私は、会社員を経験しておいた方がいいと

思っています。

そこからきちんと自分の道が

明確に見えてこれば良い経験です。

会社員にしろ、自営業にしろ

相手にするのは会社員である可能性が高いですから

相手を知るには最適な経験だと思います。

脱サラして約3週間が経とうとしております。

こんばんは、佐藤です。

引っ越しまして

先日

友人にゴミの扱いについて怒られてしましました

冷蔵庫がないおかげで中食ばかりで

健康面が気になっていたら

早速今日、風邪っぽさを感じ、苦しんでいおります

今日この頃のさとうです。

早速表題の件ですが

私が文具メーカーで営業をしていた頃、

得意先で、おすすめの筆記具の話題になり

普段から万年筆を使って、書き物をしていることを話すと

「意識高いね。休日によく書き物するね。」

とすこし揶揄する口調で言われました。

ブログをご覧頂ければわかると思いますが

文章というより

アイデアの整理をしている程度ではありますが

揶揄されたことに

違和感を感じました。

意識の高低差とは

「意識が高い」と「意識が低い」

この2つは相反するもののはずです。

しかし日常的に使われるときには

意識が高い(という揶揄)と

意識が低い(という批判)が

意味合いとして含まれているように感じます。

なぜ相反する言葉なのに

どちらも嫌味が伴うのか。

とても不思議に感じませんか?

私はこれらは対の言葉ではないと考えます。

そして開き直ります。

比較級に過ぎない

言葉は面白いもので

哲学においても、それ独自の世界が存在すると

考えられているものです。

面白いことに言葉の意味は

辞書に書いてあることが絶対的に正しい訳ではなく

その辞書が編纂された時代において

使われている使用例に過ぎないのです。

これを踏まえると

意識が高いことと、意識が低いことは

同一直線上で両端に属するものではなく

飽くまで主観的な比較級に過ぎないと感じます。

情報化社会と言われていた2000年代までは

SNSも現在ほど進化しておらず、

大量生産・大量消費の時代だったと

感じています。

しかしSNSの発達によりコンセプチュアル社会といわれる

第四の波が徐々に姿を現し

ソーシャルデザインを始めとする

クリエイティブさを求めるようになった頃から

意識が高い・低いという言葉が頻繁に使われるようになったと考えます。

社会全体が変化しているからこそ

今までの常識が通じなかったり

それ自体を疑問視する人が現れたことにより

今までの常識に囚われているひとが

自分の蓄えた常識から外れていることに

批判に加え、嫌味を添えて発しているのです。

開き直ってみれば…

仮に常識という普遍的な共通認識が

存在するならば

あいつは常識がない、という表現は存在しないのです。

常識は文化や環境によって多少の差異があるとは

よく言われるもので

共有されていないことは

批判するべきではないのです。

『勉強の哲学』によれば

”こうするべき”という方向性は

属する環境の、いわばノリに過ぎません。

常識とは過去の例に過ぎず

より良い方法がないか

模索するべき対象でもあります。

平均的なことをしていたら

平均的なアウトプットしかできません。

さて、そろそろ本題に戻ると

意識が高いと言われることは、つまり

言った人は自分より意識が低いと

言語的には言い換えることができます。

まるでその意識が低い人が

普通・常識的であるかのように。

そんな意識の低い常識を押し付ける人を

信じてはいけない。

改善する気がないと表明しているのと

同義なのですから。

ごっつい敵を作りそうな記事になりそうなので

今日はこのあたりで。


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コメント

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