話し合う方法を話し合う?批判だけでは意味がない。代案や補足案を考えませんか?

おはようございます。

朝から新作スニーカー行列にならび、

昼過ぎの時点でヘトヘトな佐藤です。

お昼寝したい気分で真面目なこと書いてみます。

早速表題の件ですが

これは個人のみならず、チームもしくは複数人でも行うべきである。

特に会社や組織で課題に対しての解決方法を話し合う時には

これがどれほど効果的か。

この手の話は言論の自由がうんぬんだとか言われがちなだが

はっきり言ってしまいましょう。笑

個人かチームか

ある問題に対して個人ではなくチームで取り組む場合

どんなメリットがあるか。

・個人の思い込みや先入観が取り除かれる。

・一人では思いつかないアイデアが得られる。

・アウトプットが共有されやすい形に整いやすい。

など主観的でなくなる点があるだろう。

現実はどうだろうか。

チームで話し合う時に

個人が考えた、ざっくりとした解決策が

いくつか持ち出され、肯定と批判を重ねて

一つに絞ることが多いのではないだろうか。

私自身、これで話がまとまった試しが一度もない。

これの最大の原因は〝ざっくりとした解決策〟である。

つまり解像度が低く、画質が悪いのである。

これを個人の準備不足のせいにしていては意味がない。

なぜなら解決策として完璧であれば話し合う必要がないからだ。

話し合いは不完全なことをより精度をあげて、

より確率が高い方を選ぼうという姿勢の方が望ましくはないだろうか。

基本的に一人で考えうることには限界があるだろう。

マニュアルにありそうな、既存の解決方法も

ある一人によるポッと出ではないはずである。

その限界をチームで引き上げようというのが

チームで取り組むメリットの1つである。

代案なき批判

気を使いさえしなければ、批判は簡単なことだ。

あらを探したり、先入観をもってすれば

キムタクさえもブサイクだという主張できるであろう。

あらを探し、先入観を用いて出てきた欠点を

どうしたら補えるかを、なぜ考えないのだろうか。

それを潰せば、潰す前より案としての画質が上がるのは間違いない。

そして案に対して具体的な条件に当てはめて、

自分たちのものにしなければならない。

そのための三人寄れば文殊の知恵、まさしく話し合いだ。

反対意見や批判がでたら、それであがった問題点はどう解決できるか。

そうすることで案を深掘りできる。

複数人で話し合えばもちろん案の幅は増える。

しかし話し合いの時点で幅を求めていては話の収拾がつかなくなる。

そこは個人に任せて、個人では不足していた深さを

より客観的に話した方が合理的ではないだろうか。

一般論ほど強いものはない。

結局のところ、話し合いの原理は民主主義であり、
特徴として多数決の原理と少数派の権利がある。
少数派の権利をどれだけの人が知っているだろうか。

これが抜けているからメジャーなものに目が行きがちなのである。

チャーチルの言葉を肝に命じておくと

見解が大きく変わるだろう。

つねに常識を疑い、今、何が正しいのかを問うことが大切である。

一般論を覆すには並ならぬエネルギーが必要である。

だからこそ、個人の準備不足せいにしていては

この先ずっと一般論を考え直すことなく選び続けるでしょう。

個人の力量のせいにしている時点でチームワークではないことも

一度認識し直した方がいいでしょう。

大切なのは案をなぞって凸凹を見つけるのではなく

見つかった凸凹を対処するか一緒に考えることである。

って睡魔に襲われながら思う、今日この頃の佐藤ですよ。

今日はこの辺で


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