あした転機になあれ!が一番興奮する件について

未分類

おはようございます。

寝坊に次ぐ寝坊。

最近、朝がすっきりしない

今日この頃の佐藤です。

今日は高校時代から続けている習慣を紹介したいと思います。

早速表題の件ですが

「これが自分にとって転機になるかもしれない」と

新しいことや、昨日の自分なら選ばなかったであろう選択肢について

考えたことありますでしょうか。

「最近楽しいことがない」

「なんか面白いことないかな」

なんて口にしている人をよく見ますが

退屈な日々を、毎日続けていたら、

退屈なままにきまってますよ。

選ばなかった選択肢といっても…

毎日は大小問わず、決断の積み重ねである。

決断するには選択肢があって

各々の判断基準で選んでいると思いますが

メジャーな選択に流されているのも事実でしょう。

これこそマーケティングですから決して悪いことではありませんが、

誰かの掌の上で収まることでもあります。

敢えてマイナーな選択をするのもいいですが

もっと自分に転機を起こそうとおもいませんか?

「本当にこれらの選択肢しかないのだろうか。」

と自分にとってベストで、興奮するような選択肢を

模索してみてはいかがでしょうか。

それこそ、昨日の自分では選ばなかった、

むしろ選べなかった選択肢。

こういう考えもあると思います。

よく聞く標語でも…

「昨日の自分を超えろ!」なんていう標語を

よく目にしますよね。

前職の昔の社訓にもあったそうです。

同じ仕事内容をより短い時間で終わらせたというのもOKだし

昨日やりきれなかった仕事を、今日はやりきっただとか

基準は様々あるでしょう。

こういった量的な視点ではなく

自分の質的な視点で昨日の自分を超えるとしたら

昨日は存在しなかった選択肢を持っている時点で

昨日の自分を超えていませんか?

しかも存在しなかった選択肢は

自分が生み出したものであれば

自分にぴったりな選択肢である可能性が高いですよね。

考えるといえば…

とあるように

日々、惰性で生きることほど簡単なことないんです。

そのかわり、何も得られず

少ない選択肢から、いつも通りの選択をし続ければいいんですから。

そりゃつまらなさそうですよね。

選択肢って言い換えれば

自由なんです。

選択肢は多ければ多いほど自由なんです。

さらに言い換えれば

選択肢が少ないってことは自由ではないってことなんです。

誰かの手中に収まっている状態で

まさしくカール・マルクスのいう「搾取」です。

「選択肢を作る」とか「昨日の自分を超える」とか

意識高っ!

って思っていたあなたは

もうすでに意識が低いだけなんです。

飼われている状態に近いんです。

焦りました?

幸いにも…

自分は知人、友人に恵まれたと思う。

そのおかげで

誰かに現状を説明するときには必ずと言っていいほど

補足説明がいるような日々を送っています。

(ただ単に説明が下手なのかもしれないが…)

私が会社を辞めて、今フリーター状態であることを簡単に説明すると

「社会に耐えれなかったか」

「弱いから逃げ出したのか」

って言われますが、本当に腹が立ちます。

前回の解釈の話にも繋がりますが

選択肢が少ない人からしたら

そのようにしか解釈ができないのでしょう。

そんな誰かが見たことあるような

誰かの手中に転がされた人生に

魅力を感じるでしょうか。

むしろ、自分で考えた選択肢をあゆみ、振り返った時に

「あの時が人生の転機だった。」

って言えた方がよっぽど興奮しませんか?

だからもう一度言います。

「あした転機になあれ」

実はこれ、ツイッター探っていたら

ブログ「ぐるりみち」の『あした転機になあれ』

たまたま目に入り、気に入ったので引用しました!

ポップに、イタズラを企むように

選択肢を広げたら

死ぬほど楽しいと思います。

今日はこの辺で


未分類
abhhcをフォローする
スポンサーリンク
Bite the Cane

コメント