マナーが悪いだとか、品がないだとかっていうのは自分の体力の問題だと思うっていう、つぶやき。

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間違ったことを意識的に判断してやってしまうのは

大概性格が悪いのではなくて、

良心が弱ってるだけだ、

と聞いたことある。

間違っているとわかっていながら

ずるをしたり、

正しいことがわかっていながら、

それ以上の利益を見込めないのに

別の方法をとることも、

これだ。

事の大小の境界線はわからないけど

列の順番を抜かしたり

人に悪態をついたり

他人の物を雑に扱ったりするなど

マナー違反や日常の些細なことに横柄なのは

大概これに当てはめることができる。

きっと自分に余裕があればできるのだろうと

思えることって多いはず。

これは何も心に限った話ではない。

身体的に疲弊していることも良心を弱らせる。

むしろ健やかな体を持たずして健やかな精神は持ち得ないだろう。

持ち合わしていたら、特段自己犠牲に対しての耐性があるのだろうが、

継続性と疑問がある。もっといえば、奴隷制度さえ彷彿させる。

ふと思い返して

こんな些細なこともできないなんてと、

決して自分を責めてはいけない。

良心が弱る原因を突き止めることが

大切だと思う。

幼い頃の教えで…

幼少期に

先生や親から必ずと言っていい程

聞かされる共通の言葉

「人にされて嫌なことはしない」

これって、考えてみると奥の深い。

社会学のモデルや仮定として

序盤に出てくる。

幼少期はざっくり言えば、

人間関係などの社会性や

コミュニケーション能力を鍛えるために

物事を解決する手段としての教えである。

有限のものだから、思いやり、譲り合おうという共存の道を望む。

しかし現実社会はどうだろう。

サバイバルの状態で

共存より競争のほうが適している

自分の中でどこまでを共存(競争)とし

どこからを競争(共存)とするか

考えて見ると面白い。

素行や品の良さって話に繋がる。

良心が弱るとか、素が悪い人だとかって話をすると

必ずと言っていい程でてくる

性善説と性悪説。

鶏が先か、卵が先かの論争と同様に

どちらの説も対策に対策を重ねることで

どうとでも説明がついてしまう。

即答できるような答えは存在しない。

議論して導き出せるような答えも存在しない。

(だって現に鶏と卵の問題は10世紀以上前から提唱されているのだから。)

自分の中で、自ら線引きするべきことで

多様性に似た考えだと思う。

なんてね、すこし真顔で考えてみた。


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