「私は普通の人だから」なんて言っといて無力さを嘆くな!それが個性を潰しているんだよ。

早速表題の件ですが

以前、自分の趣味や

没頭できることを見つけて

追求することをお勧めしました。

わたし自身、小学生の頃から

親の影響もあり、些細ではありますが

人とは異なる経験を多くしてきました。

今日はその経験から劣等感と開き直りについてです。

一般ピーポーは

自分の常識から外れたことや

理解を超えることに対して

ネガティブなイメージを抱きがちです。

・つまらない

・胡散臭い

・変人

・おかしい etc…

もう一度言いますよ?

神にでもなったつもりですか?

http://bitethecane.com/wp/archives/9

一般ピーポーが神なら

大変安っぽい信仰だこと。

これは教育制度に対して言われることですが

正解はひとつしかなく、

みんなと同じことでなければいけない

コモディティ化に近い教育を12年も受けてれば

そうなるのも無理ないでしょう。

私自身もよく批判の対象になりました。

幼い頃は

目をつぶってピアノ曲を弾けるだけで

キモい。

頭おかしい。

と言われたものです。笑

嫉妬なのか出る杭を叩いているのか

よくわかりませんが

人は変なものに過剰なまでの

拒絶反応を示します。

自分が変だから

不幸な目に遭い、嫌味を言われ

揶揄されるのか。

と悩んだ時期もありました。

希少価値と開き直ってみたら。

嫉妬されることは

嫉妬している人が持ち合わしていないことが

なければ成立しません。

揶揄や批判はその人の常識から外れたこと

理解がを超えることに対して起こることなので

その人が絶対的に正しいと言えない限りは

メリットにもなり得ます。

これは希少価値に近いものがあります。

希少価値が高いものを持っている人は

羨ましがられ嫉妬されます。

希少なものを持っていることを皮肉的に捉え

批判したり揶揄したりすることは

容易に想像つくでしょう。

自分が変人と言われてきた数だけ

人より優れていたり、特徴的なことを

持ち合わしていると言い換えることができます。

それをみんなと同じじゃないといけない

変なことは好ましいことではない

と思い込んでいては

何もかもが平均的、またはそれ以下の人でしかありません。

私の尊敬する偉人で

ジョン・スチュアート・ミルという方がいらっしゃいます。

この人は自由論の著書です。

その自由論の中に

「われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。

性格の強い人がたくさんいた時代や地域には、変わった人もたくさんいた。

そして一般的に社会に変わった人がどれほどいるかは、

その社会で、ずば抜けた才能、優れた頭脳、立派な勇気がどれほど

見出されるかにも比例してきた

〈中略〉

誰もがその人間性を存分に発揮できるようにするためには、

誰もがそれぞれ違った生き方をするのを認めなければならない。

実際、それが広く許容された時代ほど、後においても

注目に値する時代だったとされてきた」

19世紀にもう既に書かれています。

まさしく多様性の話題にはなるのですが

答えっぽい案がいくつもあって

どれが最も効率的かを考えて

どの意見のどの部分が不必要かを認識することによって

その時代の正解に近づいていくと説いています。(無びょう性)

右向け右の数が力の時代であれば

画一的なことが好ましいですが

今やそれも昔の話。

私がたまにお邪魔する

文壇バー 月に吠えるのオーナー

肥沼 和之 著 「フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。」

にもあるように

何でも出来るは何もできないことに等しいのです。

世の中の会社員にもとめられるのは

全てにおいて不足なく適応できる能力であり

マルチな処理能力なのです。

それでこそ画一化した大量生産・大量消費

を実現でき、水準を保つことが可能になったのです。

それがこれからも通用するでしょうか。

しないでしょうね。

出る杭が資金を集めることもできる世の中で

普通になんの意味があるのでしょうか。

日本社会は社会として必要である

分業がうまく成されていません。

会社は会社で独自の方法を生み出したがるが故に

何もできない人でも方法さえ覚えてしまえば

その会社で生き残れるのです。

しかし言い換えればその会社でしか生きられないのです。

これが今からの労働の流動性が高まるであろう未来に

通用するでしょうか。

これからは会社ではなくて社会に対して

何かができなければ飼い慣らされるばかりです。

その能力を身につけるためにも

他人との差別化を行い

個人のブランディングを行わなければなりません。

資格のようにある程度体系化された

再現性の高いものは人工知能にとって代わる可能性が高いので

自分の感性を信じて何かを追求しなければいけないのです。

そこで所属する環境で植え付けられた常識で考えるのではなく

それを超えた「良さ」の追求をし、体現するするのがいいのです。

普通なことをしていても普通なことしかできません。

誰かが感動するような特別なことをするには

特別なことを経験するべきなのです。

それこそが差別化になります。

今日はこの辺で。


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