人それぞれだよね。ほど無意味な答えはない。

早速表題の件ですが

前回は多様性が進み

働き方と個人のあり方について書きました。

どれだけ自分を信じて行動しても

必ずと言っていいほど不安は残ります。

その不安を人に相談するのも大切だと思います。

特に感性やセンスが絡む

ファッションや好み、嗜好に関しては

絶対的な答えがないし、正解への決め手に欠けることが多いです。

ファッションのように共感や、しきたりがあるものは

良し悪しを言われやすいですよね。

販売員の経験から言わしてみると

大学4年間ファッション関係の販売のバイトをしていて

得意分野に関してはそれなりに詳しい自信はあります。

おススメ商品や着こなし、買い物の仕方など

プライベートでもよく友人に相談されました。

特に販売をしたことない人に多いのですが

「センスやその人の特徴に依るから人それぞれだよね。」

で締め括りたがります。

そんなこと当たり前なんです。

誰かに相談して出すような答えでは無いのです。

もっと言えば、私の時間返してください。

私の意見も絶対的な答えだ!なんて

言える立場ではないし、そこまでの自信もない。

しかし相談されたからには

なにか情報を与えて共有しないと意味がない。

それを共感できないから、賛同できないからという理由で

人それぞれで締め括るのは、おざなりだと思います。

リーガルハイの古美門先生の言葉ですが

「曖昧にすることに何の意味がある」

販売員や提案する側は

自分の完全ではない意見でありながらも

お客様へ責任をもって助言をするべきです。

そのための接客です。

人件費をかけてまで接客をするのですから

それなりの付加価値を提供するべきです。

そんな立場において人それぞれという答えは

屈辱の他ないのです。

もちろん自分の力不足を棚にあげてはなりません。

しかし人の意見を蔑ろに扱うのもあってはなりません。

話し合って辿りつくさきとは

はっきりしてる間違った意見

正解っぽい曖昧な意見と

はっきりと間違っているとわかる意見。

どちらが話し合いにおいて大切だと思いますか?

特に今日テーマにしているファッションのように

答えが1つにまとまらない、

絶対的な答えが存在しない問題に対してです。

はっきりしてる間違った意見です。

その間違った意見のどこが間違っているのか

を見つけ、その要素を含まないように

更なる答えをみつけなければなりません。

いわば指標でもあるのです。

特にセンスに依る自分の中で留められる問いに関しては

賛同できることは多いに取り入れ

参考にしたくないことは、戒めにすればいいのです。

必ずしも誰かと共有しなければならないものではありませんからね。

その取捨選択もセンスに依るものと捉えることができますが

センスを築くための知識と捉えた方が建設的でしょう。

水野学さんの「センスは知識から始まる」にあるように

センスとは最適化である。

自分に最適な格好をするのです。

あなたがどんな人物に憧れ、目指しているか。

どんな生活をしたいか。

どんな趣味趣向の人と集まりたいか。

どうしたらそれが他人からわかってもらえるか。

ファッションは自己表現です。

自分の中に表したいことがなければ

表現にはなりません。

だから着たい服もしたい格好も

そのための判断基準もないのです。

だから人に相談するならば

聞いた上であなたの答えの

1ピースにでもなることを優先するべきです。

そこからもっと抽象的な群衆のことを考えましょう。

今日はこの辺で。


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