お疲れ様です。
こうやって文房具の記事を
書いていると
「パソコンでよくね?」
とか
デジタルの方が楽。ってよく意見を頂きます。
私自身も、
このブログを書き始めてから
PCやスマホはもちろん
iPadも使って
記事を描いているわけですから
アナログが最高!
とは言い切れません。
しかし、
二者択一ではなく、
適材適所で
使い分けることこそが
道具を使う動物、ヒトの賢さだと
考えております。
今日はこの
使い分けの判断材料になりそうな
文章を見つけたので
紹介します。
早速表題の件ですが
脳科学者の茂木健一郎先生は
毎朝、即興でエッセイを書かれています。
先日4月19日の投稿。
教室で過ごす時間は長いが、そのうちの殆どは忘れてしまう。あるいは、無意識の知識やスキルに落ちてしまう。記憶に残っているのはよほど鮮明な印象を与えたことである。小学校の時、先生が、学力の中で文章力こそがいちばん大切なことの一つだとおっしゃったのが記憶に残る。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
文章は恐ろしい。その人の全てが表れてしまう。遠く時や場所が離れた人の文章を読んでも、その人の人柄が伝わってくるように感じられるのは、言葉の配列からその人の内部状態が見えてしまうからだろう。センスや美意識のようなものまでかいまみえてしまう。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
文章は、ごまかしがきかない。語彙が多いにこしたことはないが、少ない言葉でも、心に響く文章をつづることはできる。「巧言令色鮮し仁」ということもある。面接で言葉を発することで、候補者の人柄が見えてしまうというのは面接者は誰でも経験していることだろう。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
何よりも大切なことの一つは、概念形成の深さと複雑さである。話しているときに、その人がどれくらい深い概念のレイヤーを背景にしているか。そのことで迫力が違ってくるし、その人の言うことの説得力も左右されてしまう。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
書き言葉だけでなく、話し言葉もまた、その人柄を伝える。話し言葉には、イントネーションやリズムといった音楽的な要素も加わる。その人の今まで生きてきた歴史がすべて露呈してしまう。だからこそ、言葉は頼もしいし、また怖い。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
言葉を磨くことは話すことでも書くことでも大切だが、そのための最低限の前提条件として、自分の言葉を使うということがある。借り物の言葉で話したり書いたりしている限り、いつまで経っても言葉は自分のものにならず、磨かれず、成長しない。言葉は自分の鏡であり、履歴書であり、通知表なのだ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) April 18, 2019
文章は恐ろしい。
『文章は恐ろしい。』
と文中にも出てくるが
実にその通りだ。
内容から垣間見える人の内面が
現れてしまうからだ。
さらには、文章として自分ではなく
他人に読まれたときに
書いた人の本音や
もっといえば
オフィシャルな意見として
捉えられるからだ。
更には、
物的証拠としても
残りやすい。
(読み終わったら勝手に破れるような
ハリーポッターのような手紙欲しいね。)
そんな文章が齟齬や語弊があるようでは
自分の身を揺らがしかねない。
だからこそ、正しく相手に伝えられる
技術や経験が必要である。
いざ文章を書いてみると
佐藤が勧めているように
「自分の考えをまとめるノートを作ろう!」
と思っていいノートを買ったのはいいけど
「書くことが思いつかない。」
または
「言葉が出てこなくて筆が進まない。」
こんな経験はないだろうか。
ノートをつける以前に
自分では何も考えていなかった
誰かからか聞いた情報だけで
今まで生活してきていた。
なんて気づいてしまう人もいる。
この答えは
に記載があるのだが
自分の中に考えや、
アウトプットする内容がなければ
文章は書けない。
伝えたいことがなく
無難なことを書いていても
他人には伝わらない。
伝わる文章を書くのは本当に難しい。
だから文章を書くために
自分自身を充実させて
多くを学び、考えを練り
疑問や矛盾がないかを
文章で確認するというものだ。
これが茂木先生は、
「概念形成の深さと複雑さ」
という言葉で表している。
ありきたりで終わらない
ネットで文章のテンプレート的なものが
わんさか出てくるため、
どうしてもありきたりな
文章でおわってしまいがち。
穴埋め問題のように
自分にまつわるキーワードを入れて
「はい、完成」
みたいな文章ではなく
概念形成の深さと複雑さ
を踏まえた言葉のチョイスが
必要だと思う。
簡潔な説明とわかりやすい説明の違い。
簡単に説明することと
わかりやすく説明することの違いに
ついて考えてみる。
簡単に説明することとは
いいかえれば
簡潔に説明することなので
結果重視でプロセスや例外は
必要とされにくい。
対してわかりやすい説明は
複雑で難しいことを
他人が理解できるように
どういったプロセスや考え方を
どの順序で話したらいいか
整理された情報を伝える必要がある。
ハリーポッターで例えると
簡単な説明だと
「ハリーが悪の魔法使いヴォルデモートを退治した。」
だけでおわるが
わかりやすい説明だと
ハリーの両親の過去、
ヴォルデモートの復活、
スネイプとダンブルドアの関係性
など必要な前提知識や
背景などを説明したうえで
ヴォルデモートを退治した
と伝える必要がある。
簡単な説明は
短く説明するがゆえに
そぎ落とされる部分が大半。
わかりやすい説明は
重要なポイントはそぎ落とさず
不足なく説明することが必要である。
自分の人生を文章にしたものが
履歴書であって
茂木先生のいう自分の通知表であると
感じている今日この頃です。
いかがでしたでしょうか
茂木先生の文章を読んで
自分のいつもの発言が
テンプレートっぽく感じませんでしたか?
私自身、販売で意識しているのは
お客様に応じて毎回、
異なる話題で盛り上がるようにしています。
あらかじめ用意しておいた
話題やテーマではなく
しっかりと自分が思ったことを
そのまま自分の言葉で
提案することで
マンネリ化せず
チェーン店のように
作業的な応対にならないように
心がけています。
こういった
「概念形成の深さと複雑さ」こそが
自分の自信と、思考につながるので
自分にも、言葉とも
向き合っていきたいですね。
今日はこの辺で!
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