普通だとか常識って自分のできることの中でしかない。まるで雑学のようだ。

佐藤の奇行

常識やマナーなど

「普通」と、

一般的にまとめられることは

当の自分が、できる範囲内でしかない。

たとえば、お箸の使い方

刺し箸や寄せ箸など

タブーとされることは

数多く存在する。

しかしマナーの内には

持ち箸や横箸など

あまり知られていないマナーも

多く存在する。

知らずにタブーをおかし、

「日本人だから

箸のマナーくらい

完璧に覚えてて当たり前」と

言われたら

反論できないでしょう。

箸のマナーを全て知っておくことが

果たして普通なのでしょうか。

普通とまとめられがちな

マナーや常識は

知ってなければできない。

できないことは、普通とは言えない。

常識とはマナーに関する雑学といっても

遜色がないように思えてくる。

マネジメントの仕事をしていると

世の中にはいろんな人がいて

それぞれ自分の中で基準があると

思い知らされます。

「なんでこんなこともできないのか。」

と思ってしまうことも多々あるが

それは私にとってできることが

他人はできない

もっといえば、

私より仕事ができる人や

優れている人から見たら

私の思う普通や、行動は

常識知らずなどと思うのだろう。

自分の思う「普通」を、

人に押し付けてはいけない。

しっかり説明して

常識の水準を合わせてあげることが

大切だと考える。

常識=雑学であるならば

2003年に大ヒットした養老孟子先生の名著

『バカの壁』には

何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある

というのは別のものだということが

わからない人が多すぎる。

とある。

私自身も正確に読み解けている

自信はないが

自分は常識人だという認識はできないはずである。

だって雑学なんて

網羅することできっこない。

逆に雑学(=常識)が少ないからって

常識がない、なんて言われたくないし

そんな雑学が少ないことを

とがめるようなこと

したくないですよね。

言うこっちも恥ずかしい。

なんてね、

少し考えてみた。

今日はこの辺で。


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