おはようございます。
眠いです。朝から友人とコメダでモーニング。
優雅だ。
早速表題の件ですが
名言や格言を引用する人って意識が高いって
思われがちですが
数学や歴史などの学問と根本は変わらないと思います。
学問も過去の偉人や有名人が考えついて実証した言葉の積み重ねであり、
それが体系化され、答えがたまたま存在しているに過ぎません。
名言も偉人が自らの人生で考え、学び、体験した教えの積み重ねであり、
言語化され、答えがまだ見つかっていない状態に過ぎません。
強いて言えば哲学に分類され、絶対的な答えが存在しないのかもしれません。
むしろ存在してはならないと思います。
なぜ意識が高いと思われるのか。
名言や格言は一見、高尚で実利がないものに思われがちである。
そう思っている人はぜひ思い返して欲しい。
過去に感心した、誰かの名言や格言を一つでも覚えているだろうか。
それを実行し、日々の生活に落とし込んでいるだろうか。
どんなにありがたいと言葉も覚えていなくては意味がない。
覚えても、自分の血にし、肉にする姿勢がなければ意味がない。
まるで仏教の教えも知らないのに、ブッダに救いを求めるようなものだ。
これは会社勤めにおいても言える。
今日では社是や経営理念、ポリシー、モットー、クレドなど、
様々な名目で会社の方針を表すものが存在している。
勤勉で誠実な会社員であれば、自分の会社のそれくらい、
覚えていて当たり前だろう。
しかし覚えているだけで、日々の仕事に活かされているだろうか。
社是に背いた取引はしていないだろうか。
つまり、教訓や教えがあったところで
自分で腑に落とさなければ意味がないのである。
腑に落とすまで学び、考え、体験したことがあるだろうか。
ここまでしなければ、言葉は
経典・教典にあろうが、辞書にあろうが、教科書にあろうが
レシートに記載されていようが何の意味もない。
単なる色付きの液体の乾燥物となんら変わらない。
数学の公式も同じである。
公式を覚えたても使い方をしらなければ
テストで使えない。
知ってはいるけど、いつ、どんな状況で、どのように使うのかを
知らなければ意味がないという、
ごく一般的な認識してにまで、さかのぼる。
ここまで言ったらわかるだろう。
感銘をうけた言葉や、判断基準、自分が望む姿などを想像し、
日常に落とし込み、常に意識をすることで、
やっと意味がある。
そこまでしなければ価値がないが
それは名言・格言に限った事じゃない。
今日はこの辺で。
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