時計師になりたい!!時計が気になって、仕方がなくなった理由

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佐藤の奇行

最近、雑貨屋をやりながら並行して行えるライフワークを考えていたら

ある資格と技能が欲しくなりました。

時計修理技能士

っていう国家資格ご存知ですか?

無資格でも時計の修理を承っても

なにもお咎めはありません。

試験内容は時計の歴史や構造、時計に使われる素材の性質や

時間の概念など、時間と時計に関する知識と

シンプルな時計の分解・組立の実技なので

取得したからといって、儲かるわけでもなんでもありません。

そんな資格をなぜ佐藤は取ろうとしているのか。

最近よく聞かれるので、書いちゃいます。

(単純に説明がめんどくさい。)

早速表題の件ですが

資格取得の理由は大きく分けて4つ!

・限界が分かっている飽くなき挑戦

・学問と工業という名の人間のエゴ

・時計のデザインと時間の関係性

・ムーブメントを入れ変(×替)える

限界がある無限の挑戦

まず、先述の時計修理技能士1級の試験にデジタル時計の

分解や組立はないんです。

あくまでアナログ時計の修理技能の資格です。

しかも

1級を取得したからといって

クォーツ(電池式)のクロノグラフなど複雑な機構の時計を分解・組立・制作ができるわけでもないんです。

時計修理技能士が扱う主な時計は機械式時計なんです。

しかもこの機械式時計は

自動巻き(身に付けていればぜんまいが巻かれる)時計が発明されてから約200年経ちますが

基本構造は変わっていないのです。

だからこの修理技能士の資格は時計の歴史を遡っていく内容なんです。

経済学と違って答えは1つなんです。

(この件の詳細は今度書きます。笑)

機械式の時計は電気を使わないので

電波時計のように、時刻のデータを受信し秒単位で更新し続けるようなことはできません。

200年以上基本構造は同じなのに

クォーツ(電池式)時計にさえ勝てません。(クォーツは発明されて約50年)

この飽くなき探求心と挑戦にロマンを感じますね。

無駄っちゃ無駄です。

でも無駄だから贅沢なんです。

学問と工業という名の人間のエゴ

これは本当に人間の悪いところだと思います。でもそれがいいんです。

その昔、天動説と地動説で宗教裁判で裁かれた偉大な科学者がいるように

時計で時間を測ることは

太陽と地球の関係性と周期を把握することなんです。

それを電気や電波を使わず

金属部品だけで、いかに精密に

太陽と地球の動きを捉えるか

これが機械式時計の魅力なんです。

さらには地球上で重力の影響で

精度を落とさないためのトゥールビヨンや

パテック・フィリップの代表的な特徴である

パーペチュアルカレンダー

別名 永久カレンダーのように

閏年さえも調整してくれる仕組みなんかがあること

これこそまさしく

自然界を知り尽くそう、再現しようとする辺りが

創世記にある知恵の実を得た人類の

学問と工業の集大成であり

エゴさえ感じますね。

しかも腕の上に収まるほど小さく。

たまりません。笑

時計のデザインと時間の関係性

さっきの学問と工業の話と深く関係があります。

円を12等分し、2周したら1日を表す

一般的なアナログ時計のあのデザインには意味があるのです。

アナログでも

日めくりカレンダーのような

デジタル表記はできなくもないのですが

合理性があるからこそ

2周で1日なんです。

例えば日中であれば時針(短針)を用いて

方角がわかったり、

日時計の名残だったりと

諸説ありすぎるのですが

一般的な時計の文字盤こそ

究極のデザイン(≠アート)なんです。

さらに、詳しくいうと

時間という概念は

途切れることのない連続体です。

今この時も、同じ時は存在しない

なんていう、くっさい言葉ですが

まさしくこれなんです。

一般的なクォーツ(電池式)時計は

1秒ごとに秒針がうごき、

まるで1秒ごとに区切られているように感じます。

しかし機械式時計だと

もっと細かく秒針が動き、

品質の高いものであるほど

滑らかに針が動きます。

これが数ある時計の種類の中でも

機械式時計が愛され続ける理由の一つだそうです。

事実、私もその虜なのですが

時間の存在さえも忠実に再現しようとする点に

ド・ハマりしてしまいます。

ムーブメントを入れ変(×替)える

これだけ熱く語った挙げ句に

やっと本題の

私がやりたいことです。

それはクォーツ時計のモデルに

機械式のムーブメントを載せ変えることです。

分かりやすく言えば、

オートマしかない車種を

マニュアル車に仕立てるようなことです。

時計を真剣に選んでいると

見た目気に入ってるけどクォーツだったり、

針の色が気に入らないなんていう

悩みが出てきます。

私の場合、好きなものは使い続けて

それがいつしか、ヴィンテージと呼ばれるまで使いたいです。

しかし、クォーツの時計は

壊れたら、故障した部分を修理するのではなく、

ムーブメント自体を交換します。

そっちの方が安いですし簡単なんです。

これって、見た目は同じ中身は別物

つまりドラえもんの記憶がリセットされてしまった時のような

のび太くんと気持ちと同じなんです。

現代社会の大量生産大量消費によって

安い値段でたくさん売れる、ものづくりでは

同じものを誰もがもっていて

壊れても、安いからまた買い直せばいい

って考えがちです。

それって本当に欲しいものなのですか?

他のものと代替がきくものが

本当に自分に合ったものなのでしょうか。

これに抗ってみたいとも思う今日この頃です。

せめて、どれだけ依頼人がしくなかろうが、ニッチだろうが

気に入ったデザインの時計を使い続ける手段として

ムーブメントを入れ変えてみたいと思います。

以上が時計学校に通いたい理由ですが

時計を作れたら

腕時計のデザインの掛け時計や

トゥールビヨンとかも作ってみたいとも考えてます!

手始めにデータバンクからかな。笑

今日はこの辺で!

コメント

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